人から忘れ去られる恐怖

時々、いろんなコピペサイトで見てゾッとすることがあって、

毎年、10の言語が消滅している

これが一番怖くてゾッとする。


言語はパーソナルなものではないので、一応不特定多数が使用していてるはずだと思う。メジャーな言語なら周りにたくさんの人が研究をし、その結果もどこかにアーカイブされるはずだ。


でも、マイナーな民族で誰からも興味の対象にならない場合は記録にも残らずいつか消えてしまうし、言語は生活であったり言い伝えなどの文化的なものもセット生き残るはずだけど、それも一緒に無くなってしまう。結果、それが存在したかどうかも残らなくなって誰からも忘れ去られてしまい、最終的には元々存在してなかった事になるのでは無いかと思うとゾッとする。


言語はトキなど絶滅寸前の動物の様に手厚く保護されるとは考えにくい。
だって、あと数匹の動物を保護する話はあっても、希少な言語を喋るおっさんを国が生活保護している話は聞いた事がないからだ。

関係ないけど、絶滅寸前の動物を保護して繁殖するのは、自分たちの都合で勝手に減らして、減ったら増やしますってのは人間のエゴ以外に何でもないような気がして、気持ち悪い。


明石家さんまの師匠の笑福亭松之助が出演していたドキュメンタリー内のインタビューで、自分が死んだ時に新聞の隅に訃報が掲載され、明石徳三(本名)の生きた証が残るから芸人を始めたと言っていたし、人間は忘れ去られることに少なからず抵抗があるのではと思う。


身近なところとしては、あんなに好きだった彼女とお別れしてしまうと彼女には新しい彼氏が出来て確実にあなたのことは頭から離れてしまう。
当たり前の事だけどいろんな思い出は感熱紙に印字された領収書の文字の様に段々薄くなるのと大差はなくなる。


別に自分が誰からも忘れられてしまうことはどっちでもいいんだけど、言語が無くなるのはなんだか気味が悪い。
部屋の引っ越し中に物をバカバカ捨てながらちょっと思った。

楽しい食事

最近、会社の人が近所の中華料理屋で晩飯を食べたところ、不味い段取り悪いのダブルパンチで散々な目に遭ったと聞いて思い出した話。


昔住んでいた家の近所に、なかなかのハイスコアを叩き出す不味い中華料理屋があり、初めて入った時にはあまりの不味さに自分の味覚を疑った。
今ではマイアミの豪邸に住んでいる僕もその当時八畳ぐらいのワンルームマンションに後輩が居候していて、後輩も近所に不味い中華料理屋があると言い出したので自分の味覚が海原雄山ばりの正確さだということを証明出来たのを思い出した。


何度か怖い物見たさにそこの中華を食べたが、やっぱり怖い目に遭い、その都度お金をドブに捨てた。


そして何年か経ち、数年に一度掛かるかどうかの風邪により菌が胃にまで到達し、何も食べられなくなり、食べても胃の痛みが酷くなるループになり、3、4日ウィダーインゼリーとポカリスウェットと時々カロリーメイトのフルーツ味で生き延びた。
胃痛も治まり食欲が出てきたので、このタイミングなら何を食べてもそこそこ美味くなるのではないかと思い、問題の中華料理屋に向かい、普段からどこの中華料理屋でも必ず注文するチャーハンと餃子を注文した。正確には病気が良くなった記念であんかけチャーハンを注文した。


数分待って出来上がったあんかけチャーハンと餃子を見て小躍りしたが、その希望もすぐにゴミ以下に変わってしまう。
餃子は相変わらずブヨブヨで不味い、あんかけチャーハンに至っては何か半透明な何かと不味いチャーハンでしかなかった。
病気が大分良くなり、やっと口にしたご飯らしいご飯が死ぬほど不味い。一応そこそこの年齢の男子としては普段なかなか泣く事がないが、確か前に涙したのは戦争が終わってホッとした時に涙を流した記憶があるぐらいだが、その時は本当に目頭が熱くなった。


本当にお腹が減った時には何を食べても美味いの理論が破綻した。どんな時でも不味いものは不味い。


その後、彼女と歩くたびに、店の看板の
「日本一美味しい餃子をどうぞ」
を悪意を込めて
「日本一不味い餃子をどうぞ」
と読んでいたが、彼女は人間が出来ていたので、そういう事は言うなと言われた。
さすがにカチンとは来なかったが、上の事件も含め、今度奢るので一緒に食べに行こうと連れて行ったが、その時付き合ってた彼女はご飯を残さないのが良いところだが、ちょっと食べてから
「ご飯残してもいいかな」
と申し訳なさそうに耳打ちし、体調不良以外で初めてご飯を残した事はいつまでも忘れられない。
また、普段からおとなしい彼女が本当に黙ってしまい、帰りの道のりが暗くなってしまった。


その後何年かして彼女には振られてしまったが、これもあの中華料理屋が原因ではないかと考えている。

タルタルソース

タルタルソースが好きすぎる。


いつも行く定食屋にはタルタルソースはオプション(無料)だけど、自分が注文する場合は必ず付いてくるし、タルタルがない場合にはお店のおじさんが申し訳なさそうに今日は無くなってる旨を教えてくれる。最近は自分のために切らさないように気を遣っていただいて、これだと一種の嫌がらせに近い。


奴らはやばい。メインのフライの魅力を10とした場合に、確実に15まで引き上げる二番手としての役者っぷりがたまらない。


キューピーのタルタルで十分。張り切って自作とかいい。本当に不要。別に玉子の白身の食感とか楽しみたくないです。あの雑な感じがちょうどいい。
食堂とかでメニューに悩むとタルタルメインで考える。ミックスフライとか最高だと思うし、社員の人はなぜがいつも人の注文を読み取る。絶対あいつは超能力があると思う。


マヨラーの気持ちが痛いほどよく解る。自分もいつかはタルタルでチューチューしてしまうと思うけど、絶対にそこには踏み込まないようにしている。禁断の果実(カロリー)だ。
時々残ったタルタルを箸の先にちょっと付けてそれでご飯を食べたくなるけど、それをやってしまうと大人として問題がある。
ゲートウェイドラッグの信仰者の言い分が唯一理解できる瞬間だ。ご飯にチョロっと付けるだけでは我慢できずに、チューチューしてしまうと思う。文章の途中で二番手とか言ってるのがこれだと主役になってしまう。


奴らは僕の何かを変革させる努力をしていないのに、勝手に僕が引きずられる。これは新しいドラッグの一種だと思う。

戦争を起こさない方法

最近特に考えさせられる事があって、僕のリアルな友達と話してる時によく話になるが、宗教が違う事が非難の対象になることがそもそも間違ってるって結論によくなる。
現代のリアルな戦争はもちろんそれだけが理由にはなってない事はもちろん理解をしている。


誰しも人と考え方が100%合うことが絶対に無くて、あなたの恋人の事を全部理解してるって人がいれば会ってみたいと常々思う。
そういう人の考え方はただのおごりであるという事を理解した方がいいと思うし、あなたが好きなアニメはどこかでは気持ち悪いとまで言われている事実。


友達とは考え方が全く違う事が多く、否定される事が多いが、だからといって、
「お前はクソ」だの「死ねばいい」だの暴言を吐いたり一対他で人を責めたりしない。
それよりも


「あなたと私は意見が全く異なるけど、そういう考え方が違ってて面白いね。」


みたいな感じでお互いの平行線に対して敬意を持って接すのでとても居心地が良い。
宗教で言うところの


「君はキリスト教で僕は仏教、あなたはイスラム教で、あの人はモルモン教でいろんな神様がいて面白いね。」


ってだけの話で、こういう場合に非難を行う人は、


「君はキリスト教であなたはイスラム教、神は一人だ!さあジハード!」


って考えと全く変わらない。


そもそも自分の目線で見た場合に価値観が異なれば意見が異なるのは当然で、「価値観による意見の相違」って言葉が大好きで自分の座右の銘としている。
ネットで一番面白いのが、自分と価値観が全く異なる人々がたくさんいてそこを眺めているのが本当に面白い。
だいたい僕が他人を非難する場合は、自分の利益が侵される場合で、仕事の場合はよく非難を行う。


世の中は個性があるとすばらしいみたいな印象を受ける。暴論だけど没個性な人はだめだとまで錯覚させる。前に何かの記事で読んだが、アメリカの問題点は教室に30人いれば、30人考えが違わないとまずい。って話を読んで不思議な気持ちになった。
全員が異なる個性を必要とされている場所はもちろんあって、某社の経営理念の「作る人を増やす」はミュージシャンがリスナーより格上だって意味では全くないと理解している。
そもそも人の宗教とか身なりとか国籍とかの違いは全く問題が無くて、ただの区別であって差別ではない。
僕の周りにはいろんな人がいて、普通のサラリーマンに始まり、学生、芸術家、元やくざ、鬱病、薬物中毒、違う国の人とか多種多様な人が居て楽しく生活をしている。


前に友達の女の子が不細工になってたので、不細工になったねーって話をしたら周りの女の子が
「○○ちゃんは性格は良い子なんだよ。」
って突っ込まれた事があって、はぁ?と思った。


そもそも不細工っていう属性なだけで、誰も一番重要なところの性格は否定をしていないが、彼女の友達達は性格”は”っていう事はあなた達が勝手に全部を否定している事になってて、否定しているのはお前でお前こそが悪者じゃないの?それが言いたいなら
「○○ちゃんは性格も良い子なんだよ。」
じゃねーの?

って思った事がある。
例えば、オタクの人がケミカルウォッシュのデニムを着ているはモードなブランドとは違うだけで、区別でしかなく、それ以上の個人的な感情で気持ち悪いって話入れるかどうかが本質。


極論を言えば、きれいなタンポポが咲いている場合、その花がきれいである意見を全員認めないとダメで、ただの雑草意見は認められないということで、雑草であるという区分が認められずただの言論統制以外の何者でもないし、みんなが右向け右を求める世界は正直気持ちが悪いしつまらない。


他者に攻撃を行う人は本質とは異なる攻撃を行う事が多くその時点で本質からずれているのでそんなに気にしない様にしている。
お前の言い方に配慮が足りず、むかつくって言われる方が本質的で理解しやすい。
結局のところ、人に批判を行う場合に自分も含め誰しも正確に本質を伝える事が難しい事は理解をしているが、クソだの死ねだの人の生存権をも脅かす批判こそが問題であり、自分と違う本質を必要以上に攻撃する事の方が問題で、僕たちの周りではそういう人を、


「生まれた国が違えば宗教が違うだけで戦争を起こし、人の命を脅かす危険思想。」


と定義することにより他者との戦争が起きないように一日数回メッカの方角を向いて祈りを捧げ、日曜教会に足を運び、盆には精霊流しを行うことにしている。

バイトヘル2010

友達から聞いた遠いお国のお話。
細かいディテールは少し間違ってるところもあると思う。


友達はこの間まで仕事を辞めて実家暮らしの無職で求職中が長く、さすがに親のすねをかじるのもよろしくないと思い、近所のパン工場でバイトを始めたところ、とんでもない場所だったと聞かされた。
まとめサイトで見た記事は本当に事実なんだと思った。


食品工場で衛生上の問題があるので、パナウェーブ研究所と似たようなユニフォームを着せられ作業を開始し、まずはラインから流れてくる洋なしが乗った洋菓子に刷毛で砂糖水を塗る作業を行っていると、少し間違うだけでも凄い勢いで怒鳴られる。自分だけが怒鳴られたのかと思うと、マンゴーのラインや方々のラインでも怒鳴り声が聞こえる。
同じく洋菓子のラインでチョコを上からパラパラまぶしていると、また怒鳴られる。


次は袋に入ったロールケーキが次々流れて来るので、それをひたすら積み上げる作業を行うが、凄い勢いで流れてくるのと慣れないのも相まって、作業がもたつくと、またしても工場のラインのスピードばりに凄い勢いで怒鳴られる。
もちろんその間も他のラインの人々は凄い勢いで怒鳴られるが、その光景は当たり前になってくる。
何が悲しいかと言うと、自分の祖父母ぐらいの年齢の人も怒鳴られてるのは本当に悲しい風景。


仕事の初日で全くわからないので周りの人に聞くが無視される。
何がなんやら分からないままお昼になるので、食堂に向かうがすれ違う人に挨拶をすると無視。


みんな殺伐とした暗い雰囲気で、本人曰く「働いてる人の人格が怖い」とのこと。
友達とは付き合いが長いが、6年ぐらい付き合ってるが怒ってるのを見たことがないの人格者。


本人も自分で
「俺って普段全然怒らないでしょ?その俺が人を殴ろうと思ったぐらい異常。」
と、話してたので本当に何かがおかしい職場なんだと思った。


当たり前の話で、どんな賃金でも給与体系だったとしても、従業員を大切にしない会社は最低だ。
働く人がいるから、企業は売り上げが上がると小学生でも理解できる話だ。
普段温厚な知人が切れるくらいなのでよっぽど狂った職場だと思う。
これを地獄と言わず何と表現して良いのかわからない。


大人は何かにつけては「生きてく為には労働が必要だ」と言う。
言ってることは全くもって正論。自分も大人になって子供がいれば確実に言う。
でも、将来に希望を持てというが、ただの無責任で、人生は夢破れた時どうするべきか、また夢が無くて下らない仕事に就いたとしても、ちゃんと9時5時で働き、お給料をもらい毎日の生活に対する充実感があり、死なずに生きて行くのも人生だと教えることが本当の教育ではないかと思う。
普通に生きて、夢もそんなに無くて、最後に残った砦がこんなパン工場なら死ねってこと?能力が低ければ人間って怒鳴られ続けられるの?なんか全然納得も理解もできないし、能力が有れば高給をもらえる事は喜ばしいが、無ければ虐げられる社会なら喜んで自殺する。


それ以来、コンビニでパンを購入する場合には必ず裏に記載してある製造元を調べてから購入している。
消費者にできる最低限のささやかな反抗だとしても、これからも続けようと思う。

雑誌

雑誌が好きで本屋に行っては結構な頻度で雑誌を買ってる。
最近は面白い雑誌と出会う頻度が減っていて、景気が悪いってのはこういう事だと認識している。

今日は部屋の掃除をしていて、雑誌を整理してたら、好きな雑誌の創刊号が出てきたので前書きを引用しとく。
時々疲れたらこの前書きを読み返してる。
残念ながらこの雑誌が2号までしか出なかったと思う。残念。
ちなみに編集者の桜井一貴さんはRelax編集したりいろいろ活躍してるみたい。

ココ
まず、ビデオ・カメラのスイッチを入れる。モニターは部屋のテレビ。
ファインダーに映るのは、いつもと変わらない、狭いながらも物だけは多い部屋。
もちろんテレビにも、それが映し出されている。部屋に居ながらの部屋の中継だ。
何やってるんだろうと思い、突然、カメラをテレビに向けてみる。「何だこれは!」
矢のように向かってくる点と線。しかも凄いスピード。宇宙の彼方に突き進んで行く感覚。
上昇していく気持ち。スパーク!えーと、これは、ビデオ・カメラで撮っているから、最初はビデオ・カメラで撮ったもので、
でもモニターの画像が、だけども連続しているし、動くし・・・。問題が複雑化した為、モニターを
テレビ番組にチェンジ。VTR中心のつまらないバラエティー番組が映し出された。行政とも思えるキャスティングだ。
この人 達は大丈夫なのだろうか。やっぱり大変なのか。リストラの嵐で、
忙しい人と暇な人の二極化が進む現在。例えば、音楽業界。相次ぐレーベルの解散、会社の合併。
ミュージシャンのリストラ。結果、作品の低下、ユーザーの低下を呼んでいる。
”カッコイイ”とか”やりたいこと”なんて死語でいいと考えてしまう。
やはり、原因を追及する事よりも、その現象や状況を、どうするか。
つまり、楽しむ事が重要なのだろうかと思う。そして、またチャンネル・チェンジ。
ある歌声を聴いた。スパークする音楽。それは心に閃光を与え、活気を呼び起こしてくれるものだった。そう、スパークは音楽だけじゃない。
爆発するクリエイター、マーケティングを無視して好きな世界を突き進むファッション・ブランド、
少子化の中、物凄い企画力で勝負するオモチャ・メーカーなど、まだまだある。
そんな頼もし過ぎる人達に会いたくて、そしてスパークしたくて、この雑誌を始めます。
きっと、みんなのその体内にも、スパークの火種はあります。それは生気だし、何よりも活力の元だから。
何かと疲れる世の中ですが、諦めちゃったり、癒されっぱなしになって、あっち側に行っちゃわないでください。
きっと楽しい、こっち側のイン・コースを走り続けますので、 おつき合いよろしくお願いします。絶対平気!未来はある。


編集人 桜井一貴 IN Spark 創刊号


僕もいろんな事に負けてられないです。

会社のこと

うちの会社は社長がそもそもまずいので、みんなには100%を要求しないようにしている。
前に日記に書いたけど、今1しかできないのに10ができることはないと思っていて、要はゆっくり成長していれば問題ないので、これを日々楽しく観察している。


そんな感じで社長の品格とはほど遠いけど、社長業をやってて、いろいろと勉強になることが多い。
不謹慎な言い方だけど、ゲームっぽい。
通帳とかエクセルで数字集計してると、シミュレーションゲームみたいで人件費のパラメータの調整をしてるのとそんなに変わらない。


うちは超零細企業なので、いろんな仕組みとか決まりを相談しながら自分で全部決めてる。
地味に一番興奮したのが、会社の出社時刻を決めた時で、これで出社時刻の呪縛から逃れられると感激した。
理系の人にはシステムを構築してるときの面白さに等しい。


SEの人はおとなしい人だけど一緒にいると飽きないので手放せない。
仕事投げるとちゃんと形にしてくれるので安心だし、いつも美味いコーヒーを飲みながら、Webサービスとか音楽の話をしている。


営業の人は話せば理解できる優秀な人なんだけど、営業なのに格好がいつもまずい。
ワイシャツの襟とかコートが汚かったり清潔感がない。靴下は左右違ってたり、穴が開いてるのも見た事がある。
でも資料とか企画を考えさせるといい仕事をするので、最近は営業って言うようより提案資料作成係りになってる。
社長はSEのはずなのに、客と会ったりするのが向いてるので営業になってしまった。


肩書きだけで判断する人に立派どうこう言われるけど、立派というよりはギャンブルをやってるのと大差はなくて、麻雀と極めて似ていて、牌切ってるのとそんなに変わらない。
ギャンブルやってる成功してないバカも肩書きがつくだけで賞賛されるのは本当に面白い。


元々人前で仕事の話をほとんどせず、たまに話す時には悪気がない感じの人には「ギャンブルをやっている」と極力答えるようにしている。
起業したい人の話を聞かされることがとても多くて、やるかやらないかの単純な話なのに突っ込めない人はそもそも起業に向いておらず、ギャンブルの土俵にも立ってないのはとても勿体無い。
リスクを背負うか背負わないかの話にアドバイスできることは正直ほとんどない。


前にTV局のインタビューで友達のニートをどう思うか聞かれたので、自分で選択してる限りは本人の問題なので別にいいと思うと話した。
俺が借金でクビが回らなくなって首を吊るのも、ニートが餓死するのも同じ取捨選択の結果で、何やっても自分の責任でリスクしょってるのであれば他人がどうこう言うのは本当に気持ちが悪い。
そもそも融資受けて返せなくなる法人の方が、損害が高い分だけニートより悪質だ。


お金の事を考える時が一番大変なんだけど、時々楽しい事があって、大きな仕事を取れたり、経費で2人分のMacを購入した時にはヨダレが華厳の滝のごとく止まらなかった。
明日届くらしいが、日曜日なのに社員の人が受け取ってくれると話をしてたが、仕事に対してもそのぐらいの積極性を持ってほしいと少し思った。


毎日こんな感じで足りない部分をみんなで補って働くのはたまらない。そんなメンバーにも仕事があって、少なからず誰かの役に立っていて、これがなかなかの快楽で「寝入りばなの快楽」の生活をもっと継続させるだめに第三国への武器の密売を行い維持する努力は続けたいと本当に思った。
これが起業したい人へのアドバイスなればすばらしい。


ひとつ残念な事は、この間大き目の仕事を取って浮かれてたらその後タクシーに当て逃げをされた。