人から忘れ去られる恐怖

時々、いろんなコピペサイトで見てゾッとすることがあって、

毎年、10の言語が消滅している

これが一番怖くてゾッとする。


言語はパーソナルなものではないので、一応不特定多数が使用していてるはずだと思う。メジャーな言語なら周りにたくさんの人が研究をし、その結果もどこかにアーカイブされるはずだ。


でも、マイナーな民族で誰からも興味の対象にならない場合は記録にも残らずいつか消えてしまうし、言語は生活であったり言い伝えなどの文化的なものもセット生き残るはずだけど、それも一緒に無くなってしまう。結果、それが存在したかどうかも残らなくなって誰からも忘れ去られてしまい、最終的には元々存在してなかった事になるのでは無いかと思うとゾッとする。


言語はトキなど絶滅寸前の動物の様に手厚く保護されるとは考えにくい。
だって、あと数匹の動物を保護する話はあっても、希少な言語を喋るおっさんを国が生活保護している話は聞いた事がないからだ。

関係ないけど、絶滅寸前の動物を保護して繁殖するのは、自分たちの都合で勝手に減らして、減ったら増やしますってのは人間のエゴ以外に何でもないような気がして、気持ち悪い。


明石家さんまの師匠の笑福亭松之助が出演していたドキュメンタリー内のインタビューで、自分が死んだ時に新聞の隅に訃報が掲載され、明石徳三(本名)の生きた証が残るから芸人を始めたと言っていたし、人間は忘れ去られることに少なからず抵抗があるのではと思う。


身近なところとしては、あんなに好きだった彼女とお別れしてしまうと彼女には新しい彼氏が出来て確実にあなたのことは頭から離れてしまう。
当たり前の事だけどいろんな思い出は感熱紙に印字された領収書の文字の様に段々薄くなるのと大差はなくなる。


別に自分が誰からも忘れられてしまうことはどっちでもいいんだけど、言語が無くなるのはなんだか気味が悪い。
部屋の引っ越し中に物をバカバカ捨てながらちょっと思った。