不確定性

1月に書くといかにもな感じがするので、忘れないうちに今月書こうと思う。


僕は普段ある言語を開発していて、鳥取に住んでいる。


かなり前に神戸に住んでいて、今と同じくその時も純情な学生だった。
朝、卒業制作を行っていて、早朝にそろそろ寝ようかなと思ってたところ、今では懐かしいCDプレーヤーからスチャダラパーを爆音で流していたら突然音が切れた。


うちの父親は土建業でかなり怖いので、親父が切れてブレーカーを落としたのだと思い、小動物の様に怯えていると次の瞬間部屋がグラグラ揺れだした。
変な揺れかたをしていて紙相撲の力士を体験できた貴重な一瞬だった。
部屋の棚が揺れていたので一生懸命押さえていると揺れはおさまったが、もし寝ていたら棚に挟まれて死んでいたかと思うと未だにぞっとする。


これは大変なことになったと思い外に出ると、うちは貧乏長屋なので、瓦が固定されていないため、相当な量の屋根瓦が地面に叩きつけられ粉々になっていた。
わかりやすく表現すると、よくニュースで正月にお坊さんが修行で、熱々の炭の上を歩く時の炭みたいにビッシリ割れた瓦がレッドカーペットの様になっていた。
レッドカーペットと確実に異なるのは僕は未だにオスカーを取っていないし、残念ながらノミネートもされていない。


とりあえず一家の長に相談しようと思い、起こしに行くと朝も早かったので寝てるところを起こされ、ガッツリ怒られ、
「今日は現場は休みか?」
みたいな呑気な事を言っていたが、枕の真横には落ちてきた日本人形が割れていた。


送電線等が分断されてしまったので、テレビもねぇ電話もねぇ車もそれほど走ってねぇと吉幾三の歌みたいになってたが、お巡りはグルグルしてなかった。


うちは山の手のご子息なので、下民の様子をうかがっていたところ、海側ではいろんな所から、煙が上がっていた。
わかりやすく言うと、シムシティで火災が発生した場合をリアルに再現したら近いと思う。
今後、もっとPCの性能が向上して、シムシティのバージョンが上がると、あの感じに近くなると思うと楽しく遊べなくなる。


その後は学校も休みになってしまったので、柄にもなくボランティアとかしていた。


世界が180度とはいかなくても、そこそこの角度で変わってしまった。
あっけなく有から無へ変貌してしまい、近所は荒れ地になった。
今みたいに写メはないが、インスタントカメラで撮影しに近隣から観光に来ているバカは本当に居て、元々治安の良くない地域なのでボコボコにされていた。


一般的に、地震・雷・火事・親父のランキングだが、僕の中では
親父、火事、地震、雷から親父、地震、火事、雷へとちょっと変化した。
老いてきたがまだ親父の方が怖い。


元々神様には何も期待をしていないが、頑張る人には神様は居るはずだとも思っているが、やっぱり神も仏も存在していないと確信した。
資本主義経済の神は、キリストでもブッダでも近所で集会しているあの人々でもなかった。
資本主義経済の神は経済の発展により積み上げた物を破壊するとは考えにくい。


それ以来、全力で生きようとは思わないが、自由に生きようと決心した。
死んでしまうと身も蓋もないので、その程度に考え、大抵の事は死なないよりはマシと思って生きている。
僕の事が嫌いな人には申し訳ないが、残念ながら僕は不確定性の音楽やコインの裏表程度の確率で生き残った。


僕は上記の理由から無神論者で熱心なキリスト教徒でも無いということは僕は鳥取に住んで言語も開発していないという事になる。