理想と現実の狭間

先日いつも通っている店のちょっと顔見知りのお客さんが精神的に病むことがあり、通院していると話をしていた。
なぜか狭い店の中の半数以上が現在も医師から処方を受けていて、少しカオスな空間となる珍しい時間を過ごした。


その場の病んでるみんなに共通する事は、


・調子が良かった時にはもっと出来たのに今はそれに及ばない。


とのことで、そこにいつまでも追いつかない自分にヤキモキし病気がなかなか治らないらしい。
自分も煮詰まっていよいよかなと思う事は過去にあったので、少し気持ちがわかるけど、話を聞いているとなんか理想が高いところにあって、自分はもっと優秀だと認識していて、そりゃ大変かもなーと思いつつ少し励ました。


自分の考えにはないことで不思議だったのは、自分の事を一番理解して付き合わないといけないのは自分なのに、どうしてみんなそこまで自分が出来る(優秀)と思えるのだろうと思った。
人間、いい日もあれば悪い日もあるし、頑張っても結果が出ない日が続く事もある。だけど、残酷だけど頑張っても思うような結果が出なかったって事は運も含めてそれが自分の今の能力ではないのかな。
その人が能なしって事ではなくて、その時点ではそれが出来ない人って事が事実であって、それをどうして受け入れる事が出来ないのだろうと。


上を向く事はとても良いし、目標があるという事はすばらしい。だけど今はそれだけしかできないし、頑張ればキャパを超えてしまって病むのなら、そこが自分の現在の現実なので、そこを受け入れて良くなったりもう少し頑張れるようになれば、階段を1段ずつ登れば良いだけの話なのに、到達地点(元の自分)が10として、今が1ならば次は10ではなく2じゃないかと思う。


そこのみんなは残念ながら今の自分を受け入れることが出来ていない。
まずは2段目を登るどころか足を掛けるように意識を向けないと借金の多重債務と同じで、精神のキャパを超えた自転車操業でしかない。
今は10万円しか返済できないのに100万円借りて債務不履行になってるのと同じだ。


今は草サッカー選手の能力しかないにJリーグで活躍したいっていってるのと同じくらいで、まずは草サッカーチームで味方に良いパスを出せるようにして、出来るようになれば(実力が上がれ)、また新しいステージがあるので、少し改善してそこを目指せばいいと思った。


みんなでそこそこ励ましたあと、



「自分は不細工でモテず妻夫木聡にはなればいので、自分の不細工さを理解して自分にしか出来ない恋愛を探している。」



と、ちょっと自虐的にボケみんなの笑いを誘ったが、予想以上の笑いが起きたので、自分の不細工さを再認識しつつ帰宅した。